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onahama morning scape .

photo by からみほぐし研究所

a sanpo. 

朝起きて、近所をフラフラと散歩しながら撮り続けている小名浜の朝の風景。

主に近所の小名浜港1号埠頭付近



/ with PENTAX Q → Nikon A900

早起きできた朝だけの楽しみ。

まだ眠い目をこすりながら、カメラを持って朝の港へと向かう。​朝6時の小名浜の港

夏には、もう日差しが明るくて暑いくらいな時間

冬には、吐息は白くまだ真っ暗な夜明け前の時間

そこは、出航の支度をしている漁師たちや釣り人たちの場所。

船のエンジン音が響き、カモメの羽ばたきや波の音が静かに染み渡る。

毎日赴く場所でも、季節が巡れば風景は変わり、天気が違えば風景は変わり、潮の満ち引きでも風景は変わる。

その日の自分の感情や目の留まる場所で、切り取られる小名浜の朝の風景は変わる。



なにか目的が欲しいのだろうか。

​気に留めなければそのまま過ぎ去っていく日常の風景を、ただ留めておきたいのかもしれない。

それは、この日常の風景が突然無くなってしまうかもしれないという不安を抱えているからだろうか。

理屈はいらない。

決して、美しい風景がきれいなものを伝えるわけじゃない。

毎朝の美しい小名浜の時間は、きれいごとだけでは拭い切ることのできない過去や今や未来を教えてくれる。



それでも、朝の海に向かうのは、

海が好きだからだ。小名浜の海が好きだから。



その時間その場所で、なにかを感じるとることのできる自分で在りたいと

そう思いながら朝の海へ向かう。

 

2011

 

 

 

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2016 春

なんとなく、早く目が覚めるので、

朝の散歩を再開した。

 

いつも同じところに歩いてきて、同じアングルでカメラを構える。

きっと変わらないものは無いから、変わらないのは記憶に残る風景の記憶だ。

見る側も、見られる側も。

消えてゆく世界を遺す記憶であり、消えてゆく世界に抗う記憶。 

何が消えてゆき、何が残るのか。 

流れ消えてゆく何かに抗うように、何かをポロポロと遺すのか。 

 

ただ、他の誰でもなく、朝目が覚めてフラフラとその場所に歩いていって写真を撮る。そんな自分が記憶と重なるときに、なんだかほっとするような気持ちになるんだ。

ここは、そんな場所と時間だ。

 

消えてゆく記録に触れた記憶だけが残る 

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