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Tumblrインタビュー(ノーカット版)

2012年12月に行われたNIHONGO Tumblrによる単独インタビュー (http://nihongo.tumblr.com/post/41098810188/tumblr

本掲載では文字数の関係で編集カットされた未公開部分も含めた全文を掲載します。

​1. からみほぐし研究所ではあらゆる事象を線で捉えること、線で再構築することを基に表現をされているということですが、どうしてそもそも線に惹かれたのでしょうか? 線に対するご意見、想いを教えてください。

 


 

初めて自分の線に出会った、というか向き合ったのは大学院時代です。


私は、長岡造形大学の大学院で環境建築デザインやランドスケープデザインを学んでいました。

学部までは、違う大学の工学部建築学科に所属しており、デザインや造形として建築や環境というものを捉えることや表現することに対して知識も経験もありませんでした。

実は、造形大に進学し周りの学生と並んだときに初めてそのことに気づき、自分に表現やデザインすることの軸がないことに初めて直面していました。
当時自分が持っていた知識などが、何かを表現するとき全く自分の軸にならないことを痛感したんです。


そんな時、担当教官だった恩師が私に課した課題が、「今までの知識などは捨て、とにかく自分がかっこいいとおもう線を引く」というものでした。



そして、独りでひたすら線を引きました。

その時は、何十メートルも連なるFAXロール紙に延々と描き続けました。

そうして、吐き出した線を見たら、そこには自分の線があったんです。

その線に「からみほぐし」の線という名前を付けたところから、やっとデザインや造形の軸となる種が生まれました。
さらに、そんな「からみほぐし」の線が現す方向性や複数の線の関係性、生み出される余白、密集と拡散する線の疎と密のバランス、、、

そんな要素で自分の触れた環境を眺めてみると、水の流れや森の木々、自分の生まれ育った海辺の風景にも、そんな美しい方向性や関係性、余白やバランスが見えてきました。

しかも、より豊かな環境が、より美しい「からみほぐし」の線を持っているのではないかと。



そこで初めて、「からみほぐし」の線は、何か物をつくるために描くだけじゃなく、物事の事象を捉える理論や方法論として有効なのではないかと考えるようになりました。



そうして、大学院では「からみほぐし造形論」として、海辺の環境のもつ陸と海との関係性やバランスなど、境界の「からみ方(ほぐし方)」に関する研究も行いました

(tri-structureによる藻場再生プログラムの研究 -海浜環境における「からみ・ほぐし」造形論 http://ci.nii.ac.jp/naid/110007126194

現在では、そんな経験で得た「からみほぐし」の線の理論で、より表現としての幅を広げたいという思いもあり、線を描くことや写真を用いて風景のもつ線のバランスを捉えること、線によって空間を表現すること、、、など、「からみほぐし」の線で表現することを続けています。
 

 

2. untangle.さんのドローイングは、生き物のように見えるものもあり、花や植物のように見えるものもあり、水の泡や波のように見えるものもあり、様々ですが、具体的にドローイングしているときには頭にイメージしているものはありますか?
​​

 

1.での内容にも重なりますが、

自分の線のルーツはやはり生まれ育った小名浜の海辺の風景の中にあると思っています。



波が寄せては返す砂浜に描かれる波打ち際の線や、夕焼けを映す揺らぐ水面の線や、朝焼けが刺す町並みの光と陰が描く線や、、、

そんな、異なる物事の関係性や刻々と変化する事象のなかに、「からみほぐし」の線があると思っています。

 

そして、そんな関係性は例えば水の流れや、樹木の枝葉や、マングローブ林の根や、海辺の磯場や、海中の海藻の森など、、豊かな環境で捉えることができます。

論文のなかでの「からみほぐし」の定義には、「着かず離れずで揺れ動いている関係」と記しています。これは、抽象的な表現ですが、、

具体的にドローイングしている時の頭の中では、引かれた線との対話を繰り返しながら、花や植物や水の流れや泡や、生き物の身体のラインなどを常に変化するイメージで持っています。


描く設定や環境や、誰に対して描くかや、どの場に対して描くかでいろいろですが、例えば即興で大きな画面に描くときなどは、まず全体のレイアウトや方向性、疎と密のバランスなどをある程度決めてから始めます。反対に、とりあえず一本目の線を描いてしまうっていうときもありますが。

どっちにしても、初めの線からイメージを受けて、疎と密、余白のバランス、線の濃淡、線のかすれや末尾の処理などを意識しながら、そして水の流れや植物の蔦のように、次の線を引きます。



何かをイメージしてドローイングするというよりも、自分の中に「からみほぐし」で捉えストックしているイメージを混ぜ合わせて、コントロールと非コントロールのバランスの中でペン先から抽出させるような感覚です。
そのコントロールのバランスもまた「からみほぐし」的に揺れ動き、ときにはっきりとした具体的イメージを表現するときもあれば、抽象の時もあります。
 



 

 

​3. untangle.さんはご自分のドローイングを通して、何を表現しようとされていますか?
また、ご自分の周りを取り巻く世界へ、何を発信しようとされていますか?​

 

 

 

自分のドローイングは、単純に「自分の世界の捉え方」を目に見える何らかの形で表現したいという衝動で行っています。


何か具体的なものを表現したいとか訴えたいという意気込みはありません。

毎日お腹が空いてご飯を食べるように、私にとって線を描くことが日常で、欲求であり、衝動なんです。

そんななかで、よりおもしろいものや誰もやっていないことや、自分でも想像できない線を模索するようにドローイングしてもいます。


なんというか、人や動植物や建物や道路や海や山や木や草や花や水の流れや音楽や、、、

いろんな現象をただ線で捉えることが楽しいんです。



線としてみると、なんでもない風景にたくさんの情報があったりする。

だからその線を表現してみたい。それがいちばんだと思います。

また、自分のドローイングは、最終的には空間や環境をつくるようなところで表現したいとも思っています。

周囲の環境や事象を捉えることで表現してきた線を、最後には環境や事象を生み出す線へと還元するという考えもあります。

ただ現段階では、とにかく線による表現を、平面や立体や抽象や具象のなかで進めていきたいと思っています。
 

 

 

 

 



​​4. 表現スペース、UDOK.のコンセプトも非常に面白いですね。簡単に、UDOK.ではどのような理念を元に、
どのような活動をどういったペースでされているか教えてください。​


 

 

UDOK.という場所をつくったきっかけは、2010年に小松理虔(UDOK.の共同主宰)と出会ったことで動き出したものです。

コンセプトも彼が考えました。


「晴耕雨読」の雨読からその名前をとっており、「晴耕=昼間の本業」「雨読=本業以外での活動」をコンセプトにしています。
そして、本業と本業以外での活動を相互に補い合いながらより生活をクリエイティブで豊かなものにしていくライフスタイルをつくろうと生まれました。

2011年5月に商店街の空き店舗を借りてUDOK.は生まれました。

現在では部員が7名(みんなで維持費を賄っていて、部費という月々の支払いがあります)おり、各々が本業(晴耕)の傍らでUDOK.で思い思いの「雨読」をしています。



私は、「からみほぐし研究所/untangle.」という名義でドローイングなどの雨読をしています。

普段は、それぞれが別々の晴耕を持ち雨読も別々で動いています。UDOK.は、活動場所としてそれぞれが使っているといった感じです。



もともと私は、本業とは別に絵を描いたり物を作ったりする作業場が欲しかったんです。実家ではそんな部屋がなかった。

なので、私はUDOK.を毎日の作業場として使っています。

 

同じようにアトリエやオフィスのように使っている人もいれば、勉強部屋として使う人、ラウンジのように本を読んだり人と集まったり、打ち合わせの場所として使う人もいます。

そして、ときどきUDOK.の場所を貸し出すことでアーティストさんの作品展示をしたり、演劇やライブが行われたりなどと様々に使われています。

オープンから1年半以上が経ち、全国各所からUDOK.に興味を持った方々が訪ねて来てくださるので、「小名浜に来たらとりあえずUDOK.に行けばおもしろい人がいて何らかの情報を得られる」といったような雰囲気も最近ではあります。


実際に、UDOK,に集まる人たちはみなベースに持っている専門領域も違えば、これまで暮らしてきた環境や出会った人が異なる人たちばかりで本当におもしろいです。

年齢も10代~40代までと幅広く、専門が同じで同世代ばかりの大学とは違って刺激も多いです。



簡単にいえば、UDOK.が何らかの活動をしているというよりも、UDOK.が生活の一部で、町にはみだした家の機能の一部を担っているようなイメージです。活動をしているのは、そこに集まる一人一人の人間であり、UDOK.はそんな人の集まるまちのリビングです。

私がよく使うイメージは、「小名浜という小さなまちを、少し大きな家のように暮らしている」というイメージです。



そんなライフスタイルを実践するひとつの方法として、私にとってのUDOK.という場所があります。

その他UDOK.や小名浜での活動などは、共同主宰の小松理虔が編集長を務めるウェブマガジン「tetote onahama」を見ていただけるとより分かると思います。

tetoteonahama  http://www.tetoteonahama.com/


5. 私はuntangle.さんのあさんぽ(a sanpo.)写真シリーズのファンなんですが、震災後、小名浜の海/街/人々はどのように変わったと思いますか?
​また、今後地元の表現者として、どのように活動していこうと思われていますか。
 

 


実は、朝の散歩は2010年9月に地元にUターンしてから毎日のように続けてきました。

もともと早起きが好きだったし、朝の海も好きだったので、自然と早朝の海へと足が運びました。地元に帰ってくる前は海のない街に住んでいて、改めて自分には海が必要だと思っていたときだったので尚更かもしれません。


それでも、311の後は3週間ほど散歩はしてなかったし徒歩5分ほどの港へも行くことができませんでした。

途中まで行って引き帰したこともあります。

3週間後にやっと港へ行ったとき、それでもだいぶ片付いた後だったんですが、涙が止まりませんでした。

それでも、写真なんかはずっと撮れませんでしたね。何を撮っていいのか、何のために撮るのかが分からなくなっていました。



今は、こうしてa sanpo.(あさんぽ)といって、早起きした時には港へ行って写真を撮ります。


震災後、小名浜の海はどうしたって違って見えるし、街は建物がどんどん解体されて風景も変わるし、人の意識だって港に船を持つ友人知人たちは勿論、みな考え方も生活も変わったと思います。というか、変わらざるを得ないでしょう。
 

そうやって、毎日の生活を営んでいかないと、生きていけないと思います。
ただ、本当にみなそれぞれです。一概に小名浜はこう変わったなんて言えないくらい、一人一人の日常の小さなところまで変化があると思います。



a sanpo.(あさんぽ)に関して言えば、私はなんとなく「海をもっと身近に感じたい」と思うようになりました。

もっと身近に感じることができれば、海の小さな変化やちょっと変だなといったことももっと敏感に感じ取れるんじゃないかなと思うからです。

お天気カメラやメディアの情報を待っていては遅い。

家族の変化と同じで、きちんと毎日顔を合わせて身近に感じている方がその変化にも気づく易くなると思うからです。そういうこともあって、今年の3月からは実家よりも海に近い古民家を借りて暮らしています。港までは徒歩2分程です。

たぶん、朝の海を見て安心したいんです。



それと同時に、震災後に建物が次々と解体され変わっていく海沿いの風景を見ていて、今日いまのこの風景は残しておかないとすぐに失われてしまうかもしれないと思うのもあります。


そしてなにより、震災前から変わらないのは、小名浜の朝焼けや夕焼けの海の風景は本当にきれいです。
それを、自分の目で捉えて残したいと思っています。



地元の表現者として...ですが、

シンプルに、自分の目を通して捉えた小名浜の風景や、自分の手で生み出す線を小名浜から発信していきたいです。

​自分の生み出す線は小名浜で生まれた線だと思っているので、すべては自分のフィルターを通した小名浜を表現していることにつながります。

そんな表現を世界に向かって発信していきたいです。
 








​6. 今後のuntangle.さん自身の目標を教えてください。
(個人的なもの、アーティストとしてのもの、何でも結構です)
 

 

今後は、というかあと数週間で30歳になるんですが、自分の人生としてそれまでにやりたいことがたくさんありました。

まず、ドローイングとしての表現をいろんな場所でいろんな人とコラボして発表したいと思い、初めての場所や初めての人とのコラボも試みました。

また、個人的にはフルマラソン走るとか、小名浜の拠点を増やすとか、、、実現したこともあります。


それから、海外での個展というのを目標にしていましたが、残念ながら個展はできずフランスパリでの展覧会へ1作品だけ出展に留まりました。

海外での個展は来年以降の目標ですね


20代の年内には、まだこれからライブドローイングが東京で1回、いわきで1回あります。まずはそこで、より良いものを表現したいです。それから、絵を描いてほしいという依頼も数件受けているので、その仕事も引き続き進めていきます。



今後は、もっと小名浜の中で街にはみ出たドローイングの活動と、小名浜の外での活動をどんどん行っていきたいです。

自分のドローイングを通して感じ取れる小名浜の文化や風景みたいなものをいろんな人に伝えられたらいいなと思っています。



そして、もっと歳をとったら小名浜にアートの拠点となるような、学校と美術館と大学のような研究機関機能を併せ持ったような場所をつくってみたいです。これは本当に夢ですが。



来年の夏には、広島県尾道市での二人展が決まっています。そこでも、単に二人のアーティストが展示をするというよりも、小名浜と尾道という離れた二つの港町に暮らしている二人の背景と、そのキョリをコンセプトに企画を進めています。

(公式準備室ブログ> http://kyoriten.tumblr.com/


そんな風に、少しずつですが、自分のドローイングの持つ意味や価値を高めながら、より小名浜という場所の文化や歴史、そしてこれからの新たな小名浜のシーンやカルチャーとして育つような表現の種をどんどん考えて発信していきたいです。



まずは、自分のドローイングの表現の幅や質、その価値を高めることがあって、その次に小名浜のことです。そのどちらか片方でもダメで、両方を補い合いながら自分の活動を続けていきたいです。

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