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オ ク リ エ
弔いの壁画
2011年5月、ナカジマシゲタカ(東京在住のグラフィティライター)との出会いがはじまりだった。
小名浜のUDOK.を訪れた彼は、ここに何か絵を残したいと言い、シャッターや建物の壁などで描かせてもらえそうなところを探した。
そして、小名浜の港からほんの100mほどの距離に建つ5階建ての鯨岡肉店を見つけた。
そのときすでに、その建物には「解体許可」の張り紙が貼られていた。
何十年も生活を営んだ場所が無くなるということは、単純に物が壊されるというだけのことではない。
生活の場が失われ、街の風景が失われ、人の記憶が失われていってしまう。
本業で建築の設計に携わるたんようすけも、ふだん建築を建てることは考えても、
失われる場についてきちんと向き合ったことはなかった。
「このまま解体されれば、そこに何があったのかさえすぐに忘れてしまう。
なにか、みんなの記憶に残るような、、そして亡くなる弔うように、場を弔うようなことができないだろうか。」
そして、取り壊しの決まっていた鯨岡肉店の建物に施す弔いの壁画として、「オクリエ」が生まれた。
2011年7月~8月ののべ5日間をかけ、「オクリエ」は完成し、約一年間変わりゆくまちを見続け、
2012年8月、少し遅れたものの、当初の予定通り取り壊された。
☆ 2012年8月のレポートにオクリエ解体の記事があります。
http://karahogu.wix.com/untangle#!2012/cvh
☆ 解体される少し前に書いたブログの記事
http://karahogudiary.tumblr.com/post/30287104228/2011-8-15-1
/ untangle.
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